寝ても覚めても自己受容。

暇さえあれば自己受容。インプット→アウトプットの実践日記。

なるほど

金曜の夜からの週末、連れ合いの友達の結婚式でパリに行って来ました。新郎はフランス人、新婦はレバノン出身の才女(と思う。絶対)。フランスは多民族でアラブ系の人が多いのでレバノン人、って聞いてもフランス生まれのフランス人かと思ってしまいました。花嫁さんはレバノンのフランス大使館で働いていたことがあり、フランスに現在8年住んでいるそうです。家族の人も英語を話していたりフランス語を操っていたりで、裕福で高い教育水準を受けた人たちと見受けました。花嫁さん、小柄で愛くるしい人でした。

新郎のお父さんがちょっと変わった人らしく離婚して今は別のパートナーがいるのですが、彼曰く「いやぁ、結婚なんてするもんじゃないよ。離婚するのも大変だしね。私はこれでアパルトマン二回も手放す羽目になったよ」(って。。。)。その横でパートナー(離婚歴あり)も「そうよ。わたしは結婚式前4キロも体重減ったんだから。心労ね。結婚したくなかったのよ」だって。彼女曰く「離婚は大変よ。面倒くさくて仕方なく一緒にいる夫婦もいるけど。だからお互い愛人作ってるのよね」ですって。。。!!あまりにおフランスな一言。いいんでしょうか、こんなフランスのカップルのステレタイプを裏打ちするような意見聞いてしまって。。。こういう話がまかり通っているのでわたしの住んでる国ではフランス人はよく「フランスの夫婦のあり方って斬新だよねー。お互いアバンチュールを楽しんだり別々にパートナーを持ってもいいんだって?」と言われて迷惑がっています。あるフランス人に言わせれば、「いやいや、そんなこと家庭であったら離婚危機でしょ。浮気された側は黙ってないでしょ」ということです。十人十色、人それぞれですが、フランスの特徴はそういうことがあっても所謂社会的な制裁・弾圧は少ないのでしょう。そこはやっぱり個人主義なんだと思います。(だからといって傷つく人がいない、とか修羅場にならないわけではない。)社会的に世間の目がどうとか、世間体がどうとか、モラルがどうとか、そういった批判の目が少ないのでは。それは政治家の話でも一緒かも。ミッテランも愛人がいたし、あくまでもそれは彼の私生活の話であって、クリントン大統領がモニカ・ルインスキーと関係を持ったときのように公に糾弾されることはフランスではまずなさそうです(って個人的な見解。あくまで推論、と逃げ道を作っておく)。



そんなわけで、少しブログに時間が空きました。それとその間にちょっと考えたこと(下記参照)があります。


ブログをやる意義とは?


わたしとしてはアウトプットの場として最大限に活用しようと思い、ブログを始めることにしました。ブログをやるからには公開して他人に読まれることを前提としているのですが、別に公開せずに個人的にノートにつける日記のようにしてもいいのですよね。

誰にも見せない、読まれないことを前提をしている日記は自分と向き合うのにとても良いチャンスだし、言いたいことを正直に紙に書き出せます。ブログはやはり自己検閲が入ります。

なるほど。

そうしたらわたしのような類の日記はブログとして公開しない方が良いのでは?でもアウトプットの場は複数あってもいいだろうという結論で、まだブログを始めたばかりでもあるしとりあえず続けてみます。