寝ても覚めても自己受容。

暇さえあれば自己受容。インプット→アウトプットの実践日記。

自己受容への道 ― 完璧主義を止める。執着心を捨てる。

まだ本番のクリスマスが来てもいないのに妙に落ち着いている今日この頃。明日荷造りして土曜の早朝の便で連れ合いの家族のいるフランスに飛びます。今年はプレゼントも早目に買い終えてあったし、家だってこどもがまだ2歳半なので特にクリスマスっぽい雰囲気もないんだけど(って、こどもの為に少しはクリスマスっぽくしろよ、って?!)この時期はやたらせわしなくて疲れる。。。


さてさて。ここからが本題。この記事を書くきっかけとなったのはこちらのブログ↓(最近湯シャンを始めたのですが、プールに行ったあとも湯シャンでいいのかな?とふと思ってググったのが始まりです。断捨離のことなど役立つ記事がたくさん)。
minimalist-fudeko.com
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(「根がズボラなのに細かいことが気になる」とうのに共感が持てます!)

こちらで社会人入学した大学の時の課題の量を思い出しました。それからゼミの前に読めと言われた読み物の本数の多さと言ったら!で、要するに参考文献のリスト貰ってもそれを毎回全てじっくり読み込んでいる生徒なんていないのです。そんなの神業。人間業ではありません。課題図書なのどの読む量を100%で考えたら(完全網羅・全て消化)75%読みこなせていれば上出来なのです。

「完璧主義」に陥る暇もないくらい次々と課題をこなし、ゼミ出席前に文献を読み込み、メモを取り、ゼミ当日提出する文章を書き、とにかくこれが終わり次第、あれを、という感じ。それがとっても充実していました。スケジュール帳とカレンダーを活用して計画を立て、その過程自体を楽しんでいました。良い意味でのストレスとプレッシャーがあって刺激になっていた気がします。

そこで、今と照らし合わせると。。。わたしは「完璧主義」な為になかなか新しいことへの初めの一歩が踏み出せていません。皮肉なことに「完璧主義」ゆえに全て「完璧に準備万端」整えてから、「完璧なタイミング」で「完璧な出だし」を狙ってその時期を後伸ばしにしている始末。

一度やらなければいけない状況に自分の身を投じてしまうと、「完璧主義」に浸っている暇もなく波に乗っていかなければいけません。頭でっかちはこれだから困ります!

最近学んだこと。

決断をすること。一度決断したらその決断を正しかったのだと信じて、信じ切ってしまった状態に自分を持って行ってその方向で行ってみること。あれもこれも、って選択があったり考えあぐねる時間を作れば作るほど道が見えにくくなって行きます。
magokorode.com
メアリーさんのブログにはいつも癒されます。

あとは「感情」の波に飲込まれないこと、惑わされないこと。

前回の記事にも書きましたが、今まで「感情を吐き出す」よう促されたり誘導されたりするのがとっても苦手だったので、たとえそれが「大丈夫だよ。自分の気持ちに正直になって解放してあげていいんだよ」というスタンスであってもそれが却って重荷に思えていたりしました。あとせっかく親身になって聞いてあげようとしている相手に悪いかな?とか要らぬ心配をしたり。で、色々話してそうこうしている内に感情が湧き上がって来たりするのですが、そうしたら今度はその扱いに困るのです。そもそもこの感情を感じたかったのか?!確かに実際に内に存在する感情ではあるのですが、別に今ここで感じなくっても良かったのに。「ちぇっ」、って感じです(すごく損した気分)。

自分を思いっきり守っていいんです。思い出す必要性を感じないことや、その時に伴った感情を何も今わざわざ掘り起こして感じる必要性がなければ、それを無理に他人に吐露しなくっても良いのです。他人の為に生きてるわけではないのですから。自分を思いっきり大切にしたっていいんです。「居心地悪い」、「腑に落ちない」、その感覚を無視せず大切にしていいんです。

とういうことで、まずは出来そうな小さなことから始めます。「感謝日記を一日一行から始める」、「ネットに費やす時間を一日15分に絞る」、「ブログを二週間以上空けない」。最後はちょっとムズカシイかも知れません。。。アウトプットを具体的に書くのが難儀です。なので殆どは日常での気づきの記録になってしまってるようです。でも始めたらからには少し気長に頑張ってみよう、っと。気づきから始まってそこから少しずつ行動に変えて行ければしめたもの。習慣ってこうやって作られていくものなんだな。わたしの自己受容の認識は「ありのままの自分をそのまま受け入れること」ですが、自己受容の具体的な行動って何でしょう?少しずつ自分を大切に扱っていける方向に持っていくのが当面の目標です。

「とにかく始めよう」
前述の筆子さん、この場を借りてありがとうございます。

それでは良いクリスマスを!

ま、いっか。

人生、しあわせになってしまえばいいんだと思います。「しあわせ」の定義も人それぞれなので誰にとやかく言われる筋合いもありません(と珍しく断言)。

昔、すごく仲良くなった男の子がいました。その子のお母さんがこれまたものすごく魅力的な女性でとっても素敵な人でした。その仲良くなった男の子はヨーロッパを始めアメリカや日本など海外を飛び回る仕事をしていたのであんまり自国にいない人でした。でもわたしたちは彼が一時帰国するたんびに会って映画観たり、食事したり、お茶したりしてだべってました。

それで一度彼がいつもの海外出張しているある週末に彼のお母さんの週末住んでいるセカンドハウスに招かれました。彼がお母さんに買った家でした。海外出張の多い彼は高給取りの上に手当てがたくさん出て、国外で稼いでいる、ということで税金の支払いも大幅に免除されていました。

なぜか息子の友人の日本人の女の子が、ひとり週末自分の家に泊まりに来ている、というフシギな図。それでもお母さんは快くわたしを招き入れてくれました。それで色々スピリチュアルな話になって、彼女はこう言ったのです。

「カウンセリングやセラピーに行っても、結局のところ、自分の抱えてる問題の解決は自分自身に課されたものなのよ。」

至極当たり前のようで奥深い一言でした。カウンセラーやセラピストに自分の問題を丸投げすることなんかできません。彼らはドライブの時に地図を持って助手席に座るナビゲーターのような役割なんだと思います。ハンドルを握っているのは自分自身。答えは自分の中にあるし、自分で行きたい場所を決めて、その目的地に自分で運転して行くことになるのです。


つたない言葉ですみません。


誰に相談しても、誰のところに行っても結局自分で責任を負わなければいけないんですよね。

ってことは、誰に何を言われようと自分の進む道を行けばいい、ということです。


例えば抑圧されている感情の話。他人からそれを直視していない、と言われればそれまで。でも別に自分自身特に悲壮感もなく毎日しあわせなら「無意識に抑圧している」と言われても敢えて無理矢理「意識」の表面に持ってこよう、とも思いません。それで生きて行くことに支障がないのなら何もわざわざそれをやらなくってもいい気がします。何だかこれを無理矢理やろうとして「居心地悪い」、「腑に落ちない」思いを昔しました。他人が今まで「抑圧してきた感情」に勇気を持ってとことん向き合うのとわたしが毎日楽しく生きて行くこととは別物です。


それを他人がどうこう言ってきても別に他人を喜ばせるために生きているわけではないので、


「ま、いっか。」


と、開き直ることにしました。

自分自身が自分に一番ぴったりの答えを持っている、と信じること。それが大事。


辛い気持ちを抑圧した結果出てくるもの、例えばお酒や過食。

これもね、「抑圧するためにやってるのよ」って他人から言われればそれまでのこと。そういう「自分を守る方法」があってもいい。とにかく今の自分を丸ごと受け入れてあげること。

このことに関してとてもこころに響く記事があります。

ameblo.jp

ameblo.jp


りんごさんという方のブログです。毎日楽しくいきること。ワクワクする感情を忘れないこと。他人の目を気にするのを止めて自分軸で生きていくのに勇気の出るお話でした。

ワクワクする感情

最近よく偶然の一致、みたいなことがあります。この間も「ティラミス食べたいなー。でも今日は買うの我慢しとこう」と思った翌日に連れ合いが夕飯のデザートで食べるのにティラミス買って来てくれました。

雑誌のスワロフスキーの広告に目が留まったとき。義弟の婚約者が義弟から2年前のクリスマスにプレゼントされたスワロフスキーの腕時計を思い出しました。「彼女は金髪で背が高いからああいう大判のキラキラ時計が似合うよね。でもわたしはどっちかと言ったらか小ぶり、強いて言えばカルティエのミニベニュワールくらいの大きさがいい!(もちろん普段そんな高価なものとは無縁です。。。スワロフスキーはカルティエの10分の1くらい?)」と思ってたら、連れ合いが「フランスの両親が手袋とパジャマ贈りたいって。クリスマスプレゼント、僕からは何がいい?時計は?」と訊かれました。フシギ。

因みにベニュワール、現在は製造中止らしいです。フランス人女優のシャルロット・ゲンズブールがドイツでのインタビューでパートナーのイヴァン・アタルからもらった話をしてました。特別な日でもない普通の日にプレゼントしてくれたそうです。それでググったら私好みの時計でした(もちろんシャルロット・ゲンズブールなので、革ベルトの方でダイヤキラキラの方じゃないですよ)。

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以前は「物欲」や「欲求(グルメや「美しい物を愛でること」も含むんだけど)」はなければないだけ人生結構楽に生きられるのかな、くらいに思っていたのですが、重要なのは何かを考えたときにそれが「物(ティラミス、時計)」でも「人(愛する家族)」でも「出来事・シチュエーション(クリスマスにパリに行くこと)」でも、とにかく「ワクワクする」感情を楽しむことです。

ティラミスは別にその場では「今日は買わなくっていいや」と思っていて翌日それが現れなくったってぜんっぜん構わなかったものです。でも連れ合いが次の日に買ってきてくれて「ラッキー!」って」感激してしまいました。前日の「ワクワク感」が目の前にカタチになって現れて、大袈裟ですが食べている間中「至福の喜び」に浸っていました(笑)。

自己認識→自己受容への道

わたしは人の話を聞かない。。。

ということに気づいてしまいました。

ショックです。自分だけで暴走するところがあるようです。

結構ハナッから「批判されてるかも知れない」、「ひょっとして見くびられてるのかも?!」と思いこんで、その妄想からその「存在しない敵」に対して攻撃するような痛々しいことをしているようです。しかもこれでもか、これでもかとしつこい(ハタ迷惑)なくらい逐一相手の一言一句をあげて自分の意見や見解を("誤解"のないように)説明してみせ、議論や会話の主旨とは見当違いのことを延々とまくし立てるようです。何がそんなに怖くて何をそんなに必死になって護ろうとしているのか。。。まずそのことをきちんと受け止めて認識すること。そしてその上でそんな自分も受け入れること。。。

ひさびさにショックでした。

ここ一週間であった良かったこと

1.ベシャメルソースがダマにならない方法を学んだ。

これ、コツを覚えると拍子抜けするくらい簡単です。要はバターと小麦粉の配分をきっかり1:1にすること。例えばバター40gなら小麦粉も40g。で、混ぜ合わせてピザやパイ生地みたくなってきたところでもう少し火がちゃんと通るように絡めて炒める。それから牛乳を少しずつ足していきます。


2.↑のソースを使ってグラタンを作ったら美味しかった。

チーズをたくさん削って入れました。お野菜たっぷりのグラタンでこどもも喜んで食べてくれて何より。細かく刻んだベーコンが塩味が効いてて美味しかった。でも意外なことにこどもは吐き出していた。。。


3.褒められた。

この間の日曜日に家族で近場のクレープ屋にブランチに行った。ここは連れ合いの両親がフランスから遊びに来たときも含めて4、5回目。店の人が皆フランス人なので連れ合いとはここに来るといつもフランス語で話しているのですが、そこのオーナー兼/若しくは店長らしきフランス人の人に「あなたもフランス人ですか?」と聞かれた。「あ、いえ、日本人です」と答えたら「フランス語お上手ですね」ですって(...!)。

何しろ去年の今頃義母がなんだってか社会人類学だか言語人類学だかの本に「日本人は(英語のLとRがごっちゃになってしまう」って書いてあるのをわたしに読んで聞かせ、その後さんざんこれでもか、というくらいフランス語のR(あの、本に書いてあったのは英語のことなんですけど。。。)の発音をからかわれたので「へっ!!」とちょろっと思った。。。ちなみにその本に書いてあるフランス人にありがちな長音が短音になってしまうくだりを義母に指摘したら完璧スルーされました。これです、わたしに足りないのは!って、ずばりスルー力。それよりお義母さん、大学で仏語を学んで連れ合いもフランス人とはいえ、わたしそもそもフランス語圏に住んでないのにフランス人並みに喋ろ、と?(無理。)


4.こどもが一休さんみたいになった。

連れ合いがこどもの頭をバリカンで短く刈ったら一休さんみたいになって可愛かった。あまりの可愛いさに思わず顔がにんまりしてしまった。。。


5.こどもとかなりお喋りが“弾む”ようになった。

恐るべしこどもの吸収力と記憶力。そんなに何度も繰り返し言ってるつもりのなかった単語や、もっと赤ん坊の頃に話しかけてて使ってたと思ってた単語を口にするようになった!いつの間にやら覚えてたのね。二歳半にようやくなるところで、多言語の環境で育ってるから「きちんと話す」ようになるのは他の子たちより遅れる、と言われていましたがこんなに会話が成り立ってしまうのは驚きです。赤ちゃん、幼児は侮れません。色んなことちゃんと解っています。


6.ヨガ。

ヨガで筋肉痛になったり息切れしそうになったりするのでよっぽど運動不足だったんだなぁ、としみじみ。それでも心地の良い痛みでストレッチするのは気持ち良いし呼吸に集中するようになるし、姿勢も良くなった感じです。姿勢は大事。感情に影響します。カタチから入って中身が着いてくるようにする、って大事。なるべく笑顔でいることも大切。ヨガで気分が晴れてきた感じです。


7.お金って素敵。

今節約・倹約を心がけているのですが、連れ合いと早くもクリスマスのプレゼント選びの話になり、「お金って素敵」と思ってしまった。物質主義とか物欲とかお金って結構「良くないもの」としてネガティブに見られがちだけれども、好きなものが買えたり大切な人に贈り物が出来たりするのは素敵。お金があってこそ。ちょうど新しい手袋と綿100%のパジャマが欲しくてお店を覗いてみた。結局買わず仕舞いだったんだけどれど、お金でちょとした楽しみが買えるなんて素敵。今年の冬は化繊のモコモコのパジャマもいいけど、肌に優しい綿のパジャマが欲しい。。。


8.連れ合いのシャンプーを使ってみたら髪がサラサラになった。

自分のが切れたので連れ合いのを失敬した。そしたら、びっくり!驚くほど髪がサラサラになった。産後、授乳中6、7ヶ月経った頃急に髪の毛がパサパサになってやたら跳ねるようになった。こんなにサラサラになったのは久し振り。


9.お役所の人が優しかった。

大概役所の公務員はつっけんどんだったり失礼だったりするんだけど、今日電話かけたらのーんびりした穏和な人が出た。これだけでストレス軽減!


10.お茶が美味しい。

アールグレイのティーバッグがかなり残ってて、もう半年以上前に賞味期限切れてたんだけど飲んでみたら美味しかった。アールグレイに使われているベルガモットの香りは気分を高揚させる効果があるらしい。効果としては真逆なようですが、ベルガモットの良い香りを嗅いでいると気分が落ち着きます。朝コーヒーの代わりに飲みだしたら病みつきになりそうでした。


5つくらいしか思い浮かばないかな、と思ったら他にもあったので10個まで書き上げてみました。探すと良いことって結構見つかるんですね。どこにフォーカスするか、が大事。妊娠中のSちゃんがどうやらホルモンの乱れでカリカリして彼氏に当たっているらしい。それを聞いた連れ合いが、わたしは「すごい幸せそうで楽しそうだった。いつもアクティブで臨月の時に大掃除して家具の移動、配置換えしてた(因みにこの「巣篭もり」、臨月の妊婦に良くある傾向らしい)」って、あんたは全然覚えてないのか!あんなに気分にムラがあって喧嘩ふっかけてたのを!!恐るべし人間の記憶力。と、いうことは良いことに集中すればするほど良いことが目について、良いことだけ思い出にして悪いことは忘れてしまえば記憶に残るのは良いことだけ、と。

なるほど。とにかく今日もこどもが元気でご機嫌できゃっきゃ笑って眠りについてくれて良かった。

ヨガ

喘息になってから試したヨガ:


リストラティブヨガ

ハタヨガ

マインドフルヨガ

ヴィンヤサヨガ

アイアンガ-ヨガ


1.アイアンガー 2.マインドフルヨガ 3.ハタヨガ
、の順で良かった。アイアンガーヨガはこのヨガ独特のスタイルはもとより教えてる先生が良かったのかも。このクラスではボルスター、フォームブロック、ブリック、ブランケット、そしてベルトとヨガのプロップスを存分に活用します。これらを使うヨガポーズはより正しいフォームを作れてそうで、効果がさらにありそう。ペースがゆっくりなのもいい。何しろこどもを産んでから運動不足なのでハタヨガでも結構きつかった。。。ヴィンヤサは早すぎ。慣れの問題なのかも知れないけどついて行くのが大変。「一番アクティブなヨガ」と聞いたアシュタンガヨガは、前述のリストにあるスタイルを一通り試したのであえてクラスに参加せず。アシュタンガはこの調子だと無理そう??あんまりヨガのこと知らないのでとあるヨガのインストラクターに聞いたら「いやー、そんなことないよ。そんなに体力なくってもアシュタンガ、全然平気だよ」と言われたけれど、やはり違いはあると思われる。。。

ヨガは腹式で深く呼吸するのと胸(肺)の部分が開いて行く感じがして良いです。結婚式で発作に遭った以外、今のところ毎日咳が出るようなことはなくなったかな...?

引き寄せ(またはただの偶然)と感謝の気持ち

ちょっとここ最近振り返ってみたら、結構「これが欲しいなー」と思っていたものがフシギと良いタイミングで手に入ったりしているのです。これが「引き寄せ」であろうが「偶然」であろうがあんまり重要ではない気がします。探していた情報や欲しいものが上手い具合に自分のもとにやって来た、ということ自体に感謝しようと思いました。よくよく思い返してみたらわたし、結構絶妙のタイミングで色んな人に助けられ、色んなものやシチュエーションを手に入れているのです。


1.最近胸がズキズキ痛むなぁ。かかりつけの医者から薬は出るんだけど、そろそろ西洋医学以外の癒し系の治療法(らしきもの)ないかなぁ。

→ 同じ会社の女性が知人でお勧めの霊気療法士を紹介してくれた。


2.やたらスウェーデンのデザインをもとにした北欧スタイルのワンルームマンションのイメージングをし始めて、とにかくその架空の一人暮らしの住処の家具・照明類を想像してた時。ふと目に留まったインテリアの雑誌買っちゃおうかなー。でもちょっと自分のスタイルや「予算」に合わないものだらけ紹介してそう(ビニールに手帳か薄いカタログか何かの付録つきで入っていて封をされていたので、さすがに開けて中身を見るのは気がひけた)。

→ 家に帰ったらIKEAのカタログが配達されていた。


3.ちょっと気になったスカーフがあったんだけど買うのを留まった。

→ そしたら会社を辞める時同僚から似たような、さらに素敵なスカーフをプレゼントされた。


4.締め切った窓、エアコンなどの不健康極まりない職場で少しでも健康に気を遣うことにする。ドリンクジャーを買ってお湯にレモンと蜂蜜を入れて飲もう、と決意。

→ 同僚がわたしのこどもの誕生日に絵本と一緒にプレゼントしてくれた。ちなみにそのプレゼントの入っていた紙のギフト用手提げ袋もIKEAのフラットパックのマニュアルなど保管するのに便利そうだなぁ、思ってたら丁度良いタイミングでわたしのもとへ来た。ストローはこどもにあげた。


5.うーん、やっぱり霊気より針治療かなー?と思い始める。

→ リラクゼーションヨガのワークショップに行ったら、そこにいた女性が鍼灸師を紹介してくれた。


6.こどもの将来のために少しずつでも毎月お金を積んでおこうかしら。こどもの名義で口座を開こうか、と思う。

→ そうしたら代母が口座を開いてくれた。(「お前も開け」と後押しされた気分。)


他にも色々。


別に宝くじに当たったわけでもないのですが、よくよく考えたら「ツイてたな」と思うことあります。そういうことを忘れずに、というかそういった物事に気付くことで感謝の気持ちが生まれてきます。感謝の気持ちを持つと「ラッキーだな」と思えることが目につくようになります。「自分は恵まれてるんだな」と心底思います。

他にも丁度リストラに遭ったときに他の似たような会社でパートの話がすぐ来て取り敢えず仕事がつながったり、元同僚の結婚式で再会した元上司に彼がその時に働いていた会社で担当しているプロジェクトのチームメンバーになってくれないか、と新しい仕事の誘いが良いタイミングで来たり、住むところを探してたらうまい具合に友人に紹介されてすぐ決まったり。今やってる仕事そろそろ飽きて来たな。。。と思ってたら、同じ会社の別の部署の人に今度辞める人がいるからうちを受けてみないか、と誘われたり(で、そこの部署で無事働き始めて色々良い経験になりました)。特に学校に戻ろうとは思ってなかったのですが、たまたま当時付き合ってた人の友人が社会人入学で大学に戻る、と聞いて学位を持ってなかったわたしは「この際」、と自分もその気になった。で、修士課程を終えるまでに至りました。

修士課程はどうも肌に合わず選択を誤ったかな、と少し後悔したけれど(とどのつまり修士はモラトリアムだったのか??)、あれも良い経験。学士課程は本当に楽しかった。だからこそそれなりの成果も出せました。フルタイム、正社員の仕事辞めてまでやった甲斐がありました(経済的な意味で。学費ただでした!)。辞めた仕事自体はキャリアに繋がるものではなく、一年やればすべて把握しきって毎日が同じ繰り返しになってしまうようなものでした(それでも今振り返ってみるとこの仕事が一番人とのやり取りが多く、毎日刺激的ではあったかも知れません)。

修士論文を提出した矢先に妊娠した。これは絶妙のタイミング(←これ前述のSちゃんと一緒。だから余計に自分の人生と比較してしまった...)。

hishihanabiramochi.hatenablog.com


(強いていえば...


修士のあとキャリアに繋がっていない...)



大学戻る前から別にキャリアがあったわけではなく、取り敢えず運と人脈(なんて別に無いんだけど)に助けられて何かしら仕事にはありついていました。本当はやりたい分野があって、そこでキャリアを積んでネットワークを作ってそこで情報交換して次のステップへ、っていうのが理想なんだろうけど。


それにしても大学時代の勉強がむちゃくちゃ楽しくって、あれは奇跡。バイトもちょこちょこしたけど、本業の学問に勤しむことが出来るなんて本当に恵まれています。贅沢だね。


でも当時勉強しかしてなくって、ちょっと夜飲みに出かけたり音楽聴きに行ったり映画観に行ったりすることが減ったな。若い衆はバイトし、よく遊び、課外活動も活発にし、講義やゼミにも欠かさず出席し、勉強もちゃんとして、課題もばっちり、優秀な成績で表彰され奨学金が出たり、なんてのもいたんだけどね。一体どうやって時間の遣り繰りしてたんだろうねー?あ、あと恋愛してたりもしてね。すごいねー。


他にも色々わたしの人生ラッキーだったこと、人に助けられたこと、沢山あるのです。


やはり日々感謝。



余談:

霊気療法士のところには戻ってないし、針治療も最初の頃より喘息にはあまり効かないのかなー、と思い始めたところ。それでもこうやってタイミングよく誰かが紹介してくれたり後押ししてくれるのはラッキーだと思います。今回、霊気、針治療それぞれで自分について学ぶことがありました。→「権威者」に弱い、信頼が度を越して依存に近くなる、自分と他人との心理的距離の取り方・境界線の引き方が苦手...などなど。

hishihanabiramochi.hatenablog.com


「まずはここまで来れた。でも今のこれはちょっと違いそう。」「とりあえずはこの方向性でいいんだけど、ちょっと軌道修正して行きたい方向にさらに自分を持って行く。」――これはほんとに自分次第。

こういうのってきっかけやタイミングとして自分の前に現れるけど、そのあとは自分がどうするかにかかっているんですよね。自分への信頼を大きくすることで他人への依存心を少なくして行こうと思います。